鷲田清一さん書評「修復という眼差し」|雑誌『新潮』11月号
哲学者の鷲田清一さんが雑誌「新潮」11月号に、『社会が壊れるその前に』の書評を書いてくださいました。鷲田さんにご紹介いただくのは、昨年10月の朝日新聞「折々のことば」以来2回目です。
摂食障害やコロナ禍、さらには宮野さんとの書簡のやり取りを経た私が、なぜ今回、メアリ・ダグラスを通して社会そのものを問う本を書いているのか。
これらのつながりを指摘した上で、本書の核心を鷲田さんは次のように表現くださっています。
磯野はこうした局面で、ダグラスのいうところの「実践的な思いやり」に共鳴する。つまり、社会の石化のなかで抑圧に晒されてきた人びとのその傷を「修復」するというスタンスである。破壊へとなだれ込む人たちからは傍観的だとか、体制の補完でしかないとかの批判が向けられようが、分類はどこまでも共同社会の土台であることは否定できない。むしろ危ないのは、「純化」という、分類にともなう他者の排斥への屈折した欲望の膨張である。人びとにとって不可欠な他者との繋がりを支えるものが、翻って人びとを損ない、窒息させる。その矛盾こそが社会生成の底にあるかぎりは、その矛盾を引き受けつつ、決定的な傷とならないうちに「修復」しようというのである。
それだけでなく、書評の始まりと終わりを『急に具合が悪くなる』(晶文社)で挟み込んでくださいました。言葉の先人にこのような言葉をかけていただき、背を押された気持ちです。
| Venue / Media | 『新潮』(11月号) |
|---|---|
| Links |